「アドラー心理学:嫌われる勇気」を読んだ感想

      2016/05/06

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Facebookで良く目にする様になったので買ってみました。

Facebookの知り合いの何人かが、この本を読んだ感想をSNSに上げていたので、興味が湧いてきて、僕も本を購入して読んでみました。すると、アドラー心理学の事が書いてあり読み進めていくと、「自己啓発セミナー」の内容を繊細に書いている本。という印象を受けました。

心理学というよりは、成功哲学、自己啓発という印象でしたが、同時に、心理学という学問が身近な生活に入り込んできている。とも考えられる感じもして、心に興味がある僕としては、何だか嬉しさも湧いてきます。

さて、感想の引用ですが、モチベーションの上り下がりにより、引用する部分が一定でなかったり、本当に自分勝手に感想を書いているので、僕以外の人の感想も参考にされながら本のイメージを作ってみてください。

 

気になった部分を引用しての感想です。

 

トラウマの議論に代表されるフロイト的な原因論とは、かたちをかえた決定論であり、ニヒリズムの入り口なのです。あなたはそんな価値観をお認めになりますか?

 

フロイト的な原因論をいきなり、決定論、ニヒリズムに結びつけて、なんか、それはあんまり良くない。みたいな印象を受けました。フロイト、原因論、決定論、ニヒリズムの勉強が必要だなと思ったけど、それ以上に言い回しが強引な気がして、反発の感情が湧いてきました。著者の意図を汲み取るのに時間がかかった事もあり、印象的な一文です。

 

再びアドラーの言葉を引用しましょう。彼はいいます。
「大切なのはなにが与えられいるかではなく、与えられたものをどう使うかである」と。

 

そうだ。本当にそうだ。と思いながら、この手の話しを何度も何度もされているな。と思いました。この感じだと、数年後も同じような感覚を得てしまいそう。それが怖くなった瞬間です。

つまり、僕の中の恐怖は、「与えられたものをどう使うか」を考えだす事で、周りの人間関係の調和が難しくなる。という思い込みがある事だと思いました。この本によると、人の葛藤や悩みは、全て人間関係に帰属すると書かれている。本を一気に読むモチベーションが湧いてきました。

 

彼女にとって、いちばん怖ろしいこと、いちばん避けたいことはなんだと思いますか?もちろん、その彼に振られてしまうことです。失恋によって、「わたし」の存在や可能性をすべて否定されることです。思春期の失恋には、そうした側面が強くありますからね。
ところが、赤面症をもっているかぎり、彼女は「わたしが彼とお付き合いできないのは、この赤面症があるからだ」と考える事が出来ます。告白の勇気を振り絞らずに済むし、たとえ振られようと自分を納得させることができる。そして最終的には、「もしも赤面症が治ったらわたしだって・・・」と、可能性の中に生きることができるのです。

 

この本の言いたい事の大切な要素の一つに、「出来事があって感情がある。」ではなくて、「その感情が得たいから、その出来事を受け入れている。」という事があります。それを、赤面症という、一般の人の感覚では、触れて目立たせない様な話題で表現している所に、僕の意識の注目が強くなりました。

僕は赤面症の症状はありませんが、連想される事として、大勢の前で話す時に結構緊張する事を思い出しました。きっと人並みではあると思います。あれは、何のメリットを感じているのかを考えだしますが、答えが出ないまま思考が終わってしまいます。

成功哲学のセミナーに行くと、「成功が怖い」的な話しが出てきますが、その進化バージョンの考え方なのかな。と理解を置いておく事にします。

 

一方の劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。具体的には「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考える。あるいは「わたしは器量が悪いから、結婚できない」と考える。おのように日常生活のなかで「Aであるから、Bできない」という論理を振りかざすのは、もはや劣等感の範疇に収まりません。劣等コンプレックスです。

 

劣等コンプレックスという言葉の引用を、ブログにメモ的な意味で書いておきたかったので引用しました。

 

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。

 

やはり、理想を描き続ける必要があると再認識しました。細かいところですが感じた事としては、夢を描くとかやりたい事を書き出すとか、その類いの話しとは少し違うのかもしれない。というのがありました。あくまでも、今の自分の置かれている状況について、何かと比較するのであれば、パラレルワールドみたいに存在する、もう一つの理想の自分なのだ。という事かなと。

理想の自分のイメージすると、どうしても未来の自分を想像しがちですが、今回は、もし、理想の生き方をしているとしたら、きっとこんな言動でこんな現実の中に自分はいるのだろうな。という、時間軸としては「今」で、世界としては「2つ」の感じになり、その時に湧いてくる感情をチェックする事が大切なのだと思いました。

 

しかしアドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を率直に祝福することができる。それが愛なのです。互いを束縛し合うような関係は、やがて破綻してしまうでしょう。

 

なんか、男性的で、男性に都合の良い話しだな。という感想です。
ここを、ずっとずっと落としこんで、女性に説明しないところまでいけたら、それは、優しいな。と思いました。

愛は名詞ではなく動詞だ。の辺りの感覚でしょうか。

 

承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
そして、覚えておいてください。もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。

 

なるほど、これは痛烈です。
人の期待に生きている。と思う事もあれば、自分に都合の悪い他人の自由をほんの小さく呪ってしまう事があります。解決策が知りたいと思いましたが、今の所、実践できるワークなどが書かれていないので、アドラー心理学のワークショップなどをググってみる事にします。

 

子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。

 

僕はこれから親になるので、「子ども」という単語が登場するとどうにも反応的になります。生まれてからでないと分からないと思うのですが、子どもの課題には介入しないで、自分の人生を生きたいと思いました。「見守る」という事の線引きについて考えようと思います。

 

ここは注意が必要です。アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは、子どもがなにをしているのか知らない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。

 

分かっているけど難しい。。。そういうラインの話しだと思いました。
引続き、子どもネタで反応的に引用です。

 

他者からの承認を選ぶのか、それとも承認なき自由の道を選ぶのか。大切な問題です。一緒に考えましょう。他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。たしかに道しるべにはなるかもしれませんが、これは非常に不自由な生き方です。
では、どうしてそんな不自由な生き方を選んでいるのか?あなたは承認欲求という言葉を使っていますが、要するに誰からも嫌われたくないのでしょう。

 

タイトルの「嫌われる勇気」の確信に迫ってきた部分だったので引用しました。この本が沢山売れると言う事は、沢山の人が「つながり」「居場所」「人間関係」という所にニーズがあって、その先の「自己承認」「自由」「精神的な自立」を目指しているのかな。と思いました。

同時に僕が生きている世界は、やはり、食べるに困らず、住まいに困らない。という状況の人が多いのかもしれない。と思いを馳せたりと、立ち止まって何かを考えたくなる部分でした。

 

きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。

 

自由は環境からの脱出ではなく、自分の中の概念からの脱出なのだと思いました。宋考えると、状況を解決するよりも、自分の中の固定概念を観察し続けて、見極める事が大切だと思いました。潤くんのビリーフチェンジが頭にチラつきます。

 

幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。

 

この本を読んで、この辺りにチャレンジしてみようという気持ちになりました。僕は基本的に人当たりが良い方だと思うので、この本は僕に取って高い効果が見込める本だと思います。

ただ、「嫌われる」という言葉のままインストールすると、自分でない誰かになってしまいそうなので、「自分の人生を生きる」という辺りの言葉を自分の中に入れておきたいと思いました。

 

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的ライフスタイルなのです。

 

他人を気にしている様で、自分がどうみられているかを気にしている。これは、分かっている様で分かっていなかったなと思いました。何かが気になりだすと、どんどん思考がまわってしまう癖が楽になるのを感じました。

 

「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

 

バランスいい本だな〜

 

たとえば、定年退職をした途端に元気をなくしてしまう人がいます。会社という共同体から切り離され、肩書きを失い、名刺を失い、名もない「ただの人」になること、すなわち「普通」になることが受け入れられず、一気に老け込んでしまう。
でも、これは単に会社という小さな共同体から切り離されただけにすぎません。誰だって別の共同体に属しているのです。なんといっても、われわれのすべてが地球という共同体に属し、宇宙と言う共同体に属しているのですから。

 

先輩に教えてもらったワールドカップの各国のサポーターの話しを思い出しました。
例えば、日本のサポーターと、ブラジルのサポーターが会って、「どこから来たの?」と会話をすると、「日本だよ。」「ブラジルだよ。」と、自分のアイデンティティが国レベルになります。
全く同じ人が、例えば自分の国に帰って、県対抗のサッカーの試合を応援すれば「東京からきました。」「沖縄から来ました。」と、自己紹介が変わってくる。それが、会社、サークル、学校など、自分がどこに属しているかで、その言葉が変わってくるという話しを思い出しました。

 

ええ、たしかに簡単ではないでしょう。そこで覚えておいてほしい行動原則があります。われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。

 

これは、一つの行動指針になりそうです。より大きな共同体と言う事は、会社よりも地域や国、国よりも地球、地球よりも宇宙ということでしょうか。
でも、こういう事を考えだすと、なぜか、自分。という一人の世界観をよくよく見つめる必要があると思ったりします。
「点線面球」の点と球が実は同じだった。という事に気がついた時の感覚に近い感覚です。

 

ええ。われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。アドラー心理学が賞罰教育を強く否定しているのは、それが子どもを操作するためだからなのです。

 

やはり、子どもネタについては、反応的に引用してしまいます。。。
ほめるのも操作なのか、僕の理想像の父親像としては、上手くできた子どもの頭を暖かく撫でながら、良くやったね。とほめているイメージがあったので、「あっぶね。」という感じです。ただ、あれをしないとなると、少し寂しいです。
「お父さんは嬉しいよ。ありがとうね。」だと、ちょっと違うんですよね。

 

そう、仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える。あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝える。「助かったよ」とお礼の言葉を伝える。これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチです。

 

横の関係を作る。という意味では、僕は、家庭のパートナーの奥さんと、仕事のパートナーの共同経営者になります。
やはり、この数名の大切な人たちとの関係はシビアだなと思います。話し合いも深夜に及びますし、勘違いすると、家庭作りや仕事作りよりも、この横の関係作りに一生懸命になってしまったりします。そこは、切り分けていきたい所です。

 

あなたはいま、他者のことを「行為」のレベルで見ています。つまり、その人が「なにをしたか」という次元です。たしかにその観点から考えると、寝たきりのご老人は周囲に世話をかけるだけで、なんの役にも立っていないように映るかもしれません。
そこで他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。

 

「行為」のレベル、「存在」のレベル。という話しだと、「鏡の法則」の法則の野口さんが書いた「三つの真実」に出てくる、「BE」「DO」「HAVE」の話しを思い出します。
僕個人では「DO」に頼りがちなので、「嫌われる勇気」でいう、「行為」のレベルにはまりがちな人だと言えます。
先輩から貰ったアドバイスでは、「DO」を「BE」に置き換えるのが難し場合は「BE」を「BEHAVE」に置き換えるのが良い手段だという事です。
つまり、「行為」のレベルから「存在」のレベルへは遠過ぎると感じたとしたら、「DO=行為」のレベルから、「BEHAVE=振る舞い」のレベルにシフトする。ということです。
これは、根本的な解決にはなっていないかもしれませんが、一つのステップとしての参考にしてもらえたら嬉しいです。

 

逆にいえば、もしも誰かひとりとでも横の関係を築くことができたなら、本当の意味で対等な関係を築くことができたなら、それはライフスタイルの大転換です。そこを突破口にして、あらゆる対人関係が「横」になっていくでしょう。

 

これは、まさに取り組み中の事です。結果が出てくる事を願ってやみません。

 

行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識

 

なぜか、妻に読ませたくなる。ずるい心。

 

神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかと「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を使います。

 

このくだりの近くに、「ワーカホリック」の話しも出てくるのですが、ここはかなり思い当たる所があります。僕はワーカホリックの気があるのですが、やはり、友達にも仕事ばかりしている人がいます。そういう人たちと飲みにいくと、やはり、「極論」が大好きで、ああでもない、こうでもない。と、ここが世界の中心だと言わんばかりに、話しに花を咲かせます。
僕のチャレンジとして、次回、そんな花が咲いたら、この本の話しを持ち出す事です。そして、その花が咲かなくなるくらい、自由で幸せな毎日が訪れる事を願います。

 

 特別によくあろうとすることも、あるいは特別に悪くあろうとすることも、目的は同じです。他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になること。それだけを目的としているのです。

 

僕は、特別によくあろうする人だと思います。誰かにほめられたい。誰かの役に立ったという事を、誰かに気付いてほしい。こういうところが、正直なところ僕にはあります。
せっかく、ここまで気がつけているので、このまま観察を行い、嫌われる勇気を持つために、横の関係作りを続けていこうと思います。

 

まさに。親や大人たちは、叱るという行為を通じて、注目を与えているのですから。

 

叱る、ほめるは注目している。のサインなのですね。

 

自己受容は、その重要な一歩です。もし、あなたが「普通であることの勇気」を持つ事ができたなら、世界の見え方は一変するはずです。

 

理想をイメージするとき、この普通を受け入れているか、受け入れられていないか。は大きな問題だと思います。普通を受け入れられていない人は、妄想的な理想を展開し、地に脚がつかないので、帰って現実に問題が入り込んでくると思います。普通を受け入れられている人は、等身大の自分から理想を描いていくので、問題が少ない現実と理想のギャップを感じる事ができると思いました。

 

残り20ページが面白い。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
散文に、長い記事にと、読むのが大変だったと思います。

実は、引用部分ですが、最後の20ページは書いていません。
最後の20ページは哲学者(メンター)と若者(メンティ)の対話が一気に加速します。

最後はやはり、若者の心が解き放たれていくのですが、
ここは、興味を持ってくれた方は、是非、ご自分で体験されて欲しいと思いました。

ので、あえて、ここには引用しないで、
僕だけの感想として心にしまっておこうと思います。

沢山の方がこの本を読んで、
嫌われる勇気を自然に身につける事を願っています。

 

(ここからは2016年2月7日に書きました。)

最近、友人経営者と話していて、それってアドラー心理学的に言うとさ、みたいな会話ができるようになってきました。それだけ、世の中にこの本の考え方が広がっているということなのでしょうか。

僕としては、原因と結果の法則と、目的論の両方を頭におけているのがすごく気持ちよく、これからもこの本を参考にしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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